Story

村上海賊の魅力を発信

2019.5.29.UP

今治市村上水軍博物館
学芸員 田中謙さん

しまなみ海道沿いの島、大島に全国でも珍しい博物館があります。能島村上氏の貴重な資料、文献、出土品などを展示した「今治市村上水軍博物館」です。村上水軍(村上海賊)は、14世紀中頃から瀬戸内海で活躍した海賊。彼らは、海上機動力を背景に瀬戸内海の広い海域を支配し、国内の軍事・政治や海運の動向をも左右しました。その村上海賊について語らせたら右に出るものがいないと評判の今治市村上水軍博物館 田中謙学芸員を訪ねました。

村上水軍博物館。2004年オープン以来多くの
観光客、サイクリストが訪れています。

和田竜さんの小説「村上海賊の娘」が2014年に本屋大賞を受賞したことで、博物館の年間入場者数は、それまで4万~5万人で推移していたものが、その年は約2倍の9万2千人に増えたそうです。その後も7〜8万人で推移しているとのこと。開館当初の倍近い人数を保っているのは、日本遺産認定の効果が大きいようです。「“日本最大の海賊”の本拠地 芸予諸島 よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶」が2016年文化庁の日本遺産に認定されました。田中学芸員はこの村上海賊の一連のストーリーを考案した立役者でもあります。

田中謙さんは鳥取県出身。愛媛大学を卒業後、同大学院に進学されました。大学院を休学して博物館準備室で開館準備に係わり、開館後は仕事をしながら復学し大学院を修了されたそうです。約15年間村上海賊に携わるベテランの学芸員です。

田中謙学芸員。村上海賊に関するどんな質問にも
詳しく答えてくださりその知識の広さ、
深さに感服しました。

田中学芸員の仕事は多岐にわたっています。来館者にガイドをすることもあれば、講演やシンポジウムで壇上に立つこともしばしば。テレビ番組に出演されたことも。「展示は大事なことではありますが、まずは収集、保管したものを調査、研究することが博物館の大切な仕事のひとつです。そして資料の状態を保ちながら、どうやって見せたら皆さんに興味をもってもらえるか工夫を重ねています。」(田中学芸員)特別企画展を開催したり、常設展示をこまめに変えたり、お客様を飽きさせない努力は欠かせないとのこと。展示品は450点。その何倍もある収蔵品の保管、日々の管理も大切な仕事です。バックヤードでは、スタッフの方が黙々と作業にあたっておられました。学芸員という職業は、貴重な文化遺産を後世に伝える歴史的使命を担う重要な仕事なのです。

発掘した出土品の整理をする田中学芸員

田中学芸員に、今後目指すことを聞いてみました。すると、「KAIZOKU(海賊)という言葉を世界中に広めたい。 海賊を、海外の人にとって、忍者・サムライに並ぶ存在にしたい。」というこたえが。一般に「海賊」と聞けば、理不尽に船を襲い金品を略奪する無法者、いわゆる「パイレーツ」がイメージされるかもしれませんが、村上海賊は必ずしも悪者ではありません。村上海賊が活躍した能島周辺は潮流が渦巻き船乗りを悩ませてきた海の難所。 狭い海峡に船を進めると、激しい潮流が容赦なく襲いかかります。だからこそ、海を知り尽くした村上海賊の力が必要だったのです。瀬戸内海を通行する船は、大名でも商人でも、村上海賊の掟に従うことによって、安全に航海することができました。村上海賊は瀬戸内海を行きかう船から通行料をとり、水先案内人(パイロット)やガードマンとしても重要な役目を果たしてきました。田中学芸員はこうした村上海賊の本当の姿を伝え、さらに広めていきたいと言います。

村上海賊が活躍した海域。中央ふたつの島が
能島村上氏の本拠地となった
能島(左)と鯛崎島(右)

村上水軍博物館を訪れる海外の観光客数は年々増え続けています。今後、多言語音声ガイドの導入も検討中だとか。2020年度日本遺産サミットは今治市で開催が予定されており、ますます注目を集めることが期待されています。「海賊(KAIZOKU」)の世界発信へ田中学芸員の挑戦はまだまだ続きそうです。


I'm into I'm into

今治市村上水軍博物館
学芸員 田中謙さん

I'm into KAIZOKU(海賊)

高校時代から考古学に興味があり、その分野でも有名な愛媛大学への進学を決めたという田中学芸員。物静かで穏やかな見た目とは裏腹に、村上海賊のことを語りだすと止まりません!好きなことが仕事になるということは本当に幸せなことなんだとお話をしていてしみじみと感じました。
「i'm into KAIZOKU!」 田中学芸員はやっぱり「KAIZOKU(海賊)」に夢中です!

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